暮らしの道具とワタシ

7月の蝉と季節はずれの栗

裏山に面したうちのウッドデッキには、いつも栗の花が落ちている。細長くて虫みたいに見えるから気持ちが悪い。

その栗の花がぽつぽつと、まばらに落ちている分には何とも思わないけれど、ウッドデッキ一面にどわーっと落ちていると本当に気味が悪いから掃除をするのが憂鬱になる。

いつもはそんな気持ちで掃除をしているけれど、よく見ると栗の実が落ちている!7月の蝉の鳴き声の中で見る栗はまだ青い。

私は季節を先取りした感じで、ふたつの季節を同時に味わえたことが嬉しくなった。

たったそれだけのことだけれど、さっきまでのドヨーンとした気分がずっかり晴れて、軽やか気分で掃き掃除を終わらせることができた。

なんか変な感じ。いつもだったらミンミンとうるさい蝉の鳴き声も気にならない。

7月の蝉と季節はずれの栗

そして綺麗になったウッドデッキに腰をおろしてにんまりしていると、栗に興味を持った4歳の次男がやってきた。

次男はいつものようにあぐらをかいた私の脚の上に座る。ここは彼の特等席。食いしん坊な次男は栗がいっぱい採れたら栗ご飯が食べたいんだって。

お話が上手な次男だけれど、だんだんと口が達者になると同時に口答えもするようになって。気づけば私はいつも怒ってばかり。

でも、目の前の栗のおかげで穏やかな気持ちで次男と向き合える。

しばらくの間、2人でまだまだ食べられそうにない栗を眺めていた。

7月の蝉と季節はずれの栗

木々の隙間からキラキラと光が差し込んでいる、澄んだ空気を鼻から思い切り吸って、身体の隅々まで行き渡らせる。

思い切り吸った空気を今度はゆっくりと吐く。すると身体の奥底に重力を感じ、そして次男の重みも感じて、私はハッとした。

時間に追われバタバタと過ぎていく毎日の中で、気づけばわが子がこんなにも大きくなっていたんだな、と成長の重み(幸せ)を噛み締めた。

「些細な成長も見逃したくない」母親になった時に思ったこと。いつも頭の真ん中にあったはずなのに、いつの間にか、くり返す毎日の中で頭の隅っこに追いやられてしまっている。

だけど今日みたいに、今しかないこの瞬間の幸せを噛み締める時間は、私にとって一番の原動力になっている。

庭に落ちた栗は私みたい。

青々してイガイガして。でもゆっくり美味しくなるのを待っている。
秋になったら、美味しい栗ご飯を炊いてあげよう。

不自由な女神 ヒラリー

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